兄の復員

私こと婆ダムA子は、三男五女の8人きょうだいでございます。

上から3人が男ですが、長男と次男は早くに他界してしまいましたので
「兄さん」というと、私をA子と命名してくれた三番目の兄のこと。 ※本ブログ「命名の由来」参照。

さて今日は、そのひとまわり年上の兄のお話です。

昭和18年、いよいよ戦争が激しくなってきた頃、兄にも赤紙(召集令状)が届きました。

「心配センデヨカヨカ。元気デ戻ックデ」  訳:心配しないで大丈夫。元気で戻って来るから。

いつもの調子で明るく言う兄さんでしたが、行き先は戦地です。

「虫(ムッ) モ殺セン優シカ兄サンガ 戦地デ イケナコッジャロカイ…」
 訳:虫も殺せない優しい兄さんが、戦地でやっていけるんだろうか…。

当時10才の私は、そんなことを思いながら
心をこめて千人針を一針縫い、心と裏腹に万歳三唱で兄を送り出したことを覚えておりいます。

母はというと
兄を見送ったあと、朝晩のお祈りはもちろん、家事の合間も手を合わせておりました。

「ドウカ無事シッチョッタモンセ…」  訳:どうか無事でおりますように…

戦時中、兄からの便りは一度もなく、もちろん兄の安否はわかりません。


そして昭和20年8月、終戦を迎えます。

カゴッマにも復員兵がぞくぞくと帰還、その一方で、御霊のみという悲しい帰還もたくさんございました。
でも兄の消息は、終戦後半年以上経っても、不明のままです。

当時の我が家は、空襲で焼けてなくなっていて、知り合いの家に身を寄せていおりました。

母は兄がいつ帰って来ても、すぐに私たちの居場所がわかるように
自宅のあった焼け跡に、立て看板を残していました。

「A子チャン、アン看板ガ チャントシッチョッカ、見ッキャァン」
  訳:A子ちゃん、あの看板がちゃんと立っているか、確認してきて。

毎日のように母に言われて、焼け跡の看板を見に行きましたが
看板に大きく書かれた住所に、兄が気づかないわけがありません。

「イカナコテ、兄サンナ モウ帰ッコントジャロカイナ…」
  訳:もしかして、兄さんはもう帰ってこないかも…。

そんなことが頭をよぎり始めた頃…
ひょっこり兄さんが、私たちのもとに帰ってきたのです!

私たちの喜びようといったら、そりゃもう言葉では表せません。

「生キチョイヤッタカァ…」   訳:生きていたんだねぇ…

母はそう言ったきり、涙があふれて言葉に詰まり…。

「オカアサン、今、戻ッキモシタ…!」 訳: おかあさん、今、戻って来ました…!

兄はそう言って、母のもとに駆け寄り、涙の抱擁…となりそうなところでございますが…
兄さんの復員後の第一声…それは満面の笑みを浮かべて…

「ナガッサノ夏ミカンナ、ウンメカッタドーー!」  
   訳:長崎の夏みかんは、うまかったぞーー!

兄は満州に渡っていたらしく
引き揚げ船で長崎に着いた際に食べた夏みかんが、それはそれはおいしかったのだとか。

前のまんまの明るい兄さんが戻って来て、私も姉たちもただただ涙、涙でした。

その後、兄に戦時中のことを聞いても

「ホンノコテ 無事デ ヨカッタヨカッタ!」 訳:本当に無事でよかったよかった!

そう答えるだけ。

随分と後から知ったのですが、兄は気象隊という部隊に配属されていて
直接に敵と対峙することはなかったのだそうです。
それでも戦場の真っ只中にいたわけで
そのあたりの辛かったことや苦しかったことは全く口にしない薩摩隼人でした。

 あ…過去形で書いてしまいましたが、兄さんは今なお元気です!

そして今日、7月8日が兄の96回目の誕生日!🎂

なにぶん遠方にいるので、なかなか会うことはできませんが
今は介護施設でお世話になっていて
最近の兄の目標は、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の読破なんだとか。

「読書、時々塗り絵ジャ。コン年(トッ)デ、コゲン元気デ ヨカッタヨカッタ!」
  訳:読書ときどき塗り絵。この年で、こんなに元気でよかったよかった!

昔(ムカッ)ノマンマ マッコテ ヨカ 兄サン!     訳:昔のままの本当にいい兄さん!
アタイモ 兄サンニ 負ケンゴ、キバランナヤッセン!   私も兄さんに負けないよう、頑張らないとね!

  兄さん、マッコテ誕生日、おめでとう!!🎊



兄のいう「ときどき塗り絵」です。上が見本で、下が兄作。
兄さんながら、おみごと!



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こちらが目標の鬼平犯科帳、全24巻。



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